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栂池高原ひらた:栂池高原スキー場のゲレンデ前の宿、若主人は、山岳スキー競技の強力選手で大会前になると、各地の有力選手が集う宿として知られています。
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第2回UIAA世界山岳スキー競技選手権大会

快晴の青空の下、スタート地点となるスキー場のゲレンデベースにはまだ陽の光も当たらず、朝の冷たい空気が沈んでいる。動いていないと辛いほど、薄手のレーシングスーツを通して寒気が身を刺してくる。
やがて一人ずつ雪崩ビーコンのチェックを受け、スタートラインに並ぶ。揃いのウェアを着た強そうな選手達は、少しでもいいスタートを切ろうと前に出てポジション争いをしている。一瞬の静けさが訪れた後、スタート。堰を切ったように、一斉に駆け出していく選手達。スキーを履いたままバタバタと走り、彼らの突く長いストックは、お互いにぶつかり合ってガチャガチャと音を立てる。その勢いにのまれて、私も体力限界のスタートダッシュで飛び出していった。

3月2日から6日にかけて、スペインの北東部、カタルーニャ地方のバルダラン渓谷で、第2回世界山岳スキー競技選手権大会( UIAA World Ski Mountaineering Championships)が開催された。山岳スキー競技(Ski Mountaineering)という耳慣れない言葉が使われているが、日本で言うところの「山スキー」の世界選手権である。この大会に初めて、日本チームが参加した。その一員として、レースに参戦した模様を報告する。

この競技はクロスカントリースキーやテレマークスキーのレースではなく、山スキーのレースである。実際の山岳地域に設定されたコースを、スキーにシールを張ってヒールフリーで登り、下りはシールを外してヒールを固定し、アルペンスタイルで滑り下りてくる。その合計タイムを競うものである。
この競技はヨーロッパでは歴史があり、毎年3回ほどのワールドカップも開かれている。今回は世界選手権で、世界各地から29カ国の男女合わせて237名の参加があった。日本以外にも中国、韓国、アメリカ、カナダなど、環太平洋地域の国が初参加を果たし、他にチリやモロッコなども加え、まさに世界選手権と呼べる大会となった。
日本からは、視察のために日本山岳協会から派遣された松原慎一郎、澤田実の2名と、個人参加の横山峰弘、佐藤佳幸の計4名が選手として参加した。また監督として日本山岳協会の笹生博夫が同行した。
会場はピレネー山脈のスキーリゾート、バケイラ・ベレットスキー場をベースにしており、付近の6km四方に渡る山岳地域がコースに使われた。森林限界高度は低く、アルプス的な岩と雪の山々が幾重にも重なり合い、とても美しい山域である。スタート地点となるスキー場のベースが標高1600mから1800m、コース中にはベレット山(2590m)やバシベル山(2644m)などが含まれる。

競技は3月2日から始まった。初日の種目は「バーティカル」。これはゲレンデを利用して950mの登りのみを競うレースだ。登りのみというのは、シールをつけてのスキー登行を競うのである。オープン前のスキー場を利用して競技が行われるため、スタートは朝8時と早い。昨日までの雪も止んだ快晴の空の下、前述したような緊張の競技スタートであった。
初日のレースでもあるし、時差ボケも残っているから今日は体慣らし程度に、などと思っていたこともすっかり忘れて、完全に雰囲気に呑まれた私は全速力でスタートしていた。それでも周りの選手にどんどん抜かれていく。一人の選手に抜かれるたびに、その選手に必死に食らい付いていく。しかし息があがってついていけない。どうも高所の影響もあるようだ。
フラフラになりながらのゴール。タイムは67分33秒。完走56人中51位。950mの標高差を1時間ちょっとで登ったことに内心満足しながらも、トップのタイムを聞いて驚いた。40分27秒。スキーを履いて時速1400m以上で高度を稼いでいることになる。そんなことが可能とは、これまで思いもしなかった。他の日本人の記録は、佐藤さんが53分34秒で39位、横山さんが59分09秒の44位であった。この二人は、普段はアドベンチャーレースをやっているだけあって、さすがに強い。

翌日はメイン種目である「チーム」。二人一組で、登りと下りを繰り返すロングコースを走る。二人一組であるのは、この競技がミリタリーレースであった頃の名残であるようだ。コースはゲレンデベースからスタートし、ゲレンデを登りきったところからオフピステに入る。移動距離20kmの間に5回の登り下りが含まれ、総標高差は2100m、最後はゲレンデに戻ってきてゴールする。途中には痩せた岩稜もあり、スキーを担いでフィックスロープにつかまって通過するように規定されている部分もある。日本チームは松原・澤田組と横山・佐藤組の2チームで参加した。
実際に走ってみると、やはり距離が長い。最初にまず標高差700mの登りがあり、その後200〜400mの登り下りを3回繰り返した後、最後に500mを登って800mを滑りおりてゴールとなる。最後はバテてしまった。コースの途中でザックを降ろして、エネルギージェルを飲むほどだった。下りでは両足の大腿筋が攣るのを、無理やりにターンして滑っていた。ずっと前後して走っていたイギリスチームに勝とうと、松原さんに励まされる。このイギリスチームはレースの途中で具合が悪かったのか、コース脇で大用をたしていたのだ。そんなチームには負けられない。シールの着脱ポイントでは、松原さんに作業を手伝ってもらう。これがチーム戦のいいところでもある。しかし、結果は完走41チーム中、イギリスチームに次ぐ39位。タイムは4時間46分32秒であった。この種目のトップは2時間31分54秒でフランスのチーム。横山・佐藤組は4時間15分52秒の36位であった。
4日にはジュニアの個人戦があり、我々はレスト日となる。初参加のレースゆえに、一戦終えるごとに、道具の不備や改良点が見えてきて、この日も道具の調達や整備に追われた。

翌5日は、一般の個人戦「シングル」が行われた。これはチームのコースを一部短縮して行われる。移動距離15kmの間に4回のアップダウンがあり、総標高差は1700mである。個人戦の出場枠は一カ国から3人まで、と大会のルールで決められているので、我々は本人の希望と体調などで出場選手を調整した。バーティカルでは松原さんが休んだので、シングルは私が休むことになった。
今回の日本チームは、個人を寄せ集めただけのチームであったので、参加の三人はこのシングルに勝負を賭けていたところがあった。結果は完走74人中、佐藤さん54位(2時間47分55秒)、松原さん62位(3時間03分58秒)、横山さん63位(3時間07分51秒)であった。特に横山さんは、途中で右手の人差し指に裂傷を負い、流血しながらも執念の完走であった。

大会最終日の6日は、国別対抗リレーが行われた。この種目は各国から4名の選手が出て、同じコースをリレーする。コースはゲレンデを使い、標高差225mを登って下ってくる周回コースである。これまでの疲れも出てきており、前日の横山さんのけがもあって当日まで出場を悩んだが、結局悔いを残したくないとの想いで参加した。
選手の多くいる強豪国を中心に参加は13カ国。大会最終日の余興的なレースであるようで、昨日までの緊張感はなく、どこかリラックスしたムードがあった。日本の第一走者は佐藤さん。日本チームで一番強かった彼だが、さすがに強豪国の中でスタートは出遅れた。しかし登りの途中で一人、二人と抜いていく。二番手は松原さん、三番手に横山さん。いよいよ私の番だとスタート地点で待っていると、先に一位と二位が来るから待てと言われる。それはイタリアとフランスのトップ争いであった。ファンレースといえども、強豪国には威信がかかっているようだ。最終ランナーで逆転したフランスが優勝、先を譲ってしまったイタリアの選手は力なく肩を落としてゴール。それを見ていた私は、悔いのないように走ろうと決意した。すぐ後に来た横山さんからタッチを受け、必死で登る。昨日までの疲れも出ていて、決して調子は良くなかったが、オールアウトするつもりでがんばった。シールを外して滑りに入るポイントでは、多くのスタッフが「ジャパン・グッド!」と声援を送ってくれた。結果は見事、13位。それは今大会の最終のランナーという名誉(?)でもあった。
この日の午後に大会本部近くでお別れパーティーが開かれ、国別の表彰があった。日本はリレーに出場したことが点数を稼いで、初参加国では最上位の14位であった。初めての参加で、たった4人の選手で、全種目にエントリーしてがんばった日本チームを、私はとても誇りに思い、みんなと一緒にこの大会を楽しめたことをしみじみ嬉しく思った。

この競技について、いくつか説明をしたい。
【ルール】
この競技はスキーを使って山岳地域を走破する競技である。コースは定められており、シールをつけて登る部分、シールを外して滑る部分、またスキーを担いで歩く部分といったように指定されている。コース上に立てられた旗に従ってトレースしていく。それぞれ転換点となるポイントには、スタッフがチェックのために駐在している。
山岳競技であるがゆえ、レースには雪崩ビーコンの装着や、スコップ、サバイバルブランケットなど緊急装備の携帯も義務付けられている。それら装備に関しては、前日のブリーフィングで指定される。そしてゴール後には必ず、マテリアルチェックを受ける。このチェックは厳しく、日本チームでもヘルメットの一つが山岳用ではなく自転車用であったため、ペナルティーを科せられたことがあった。
私の感覚でいうと、スキー競技と言うよりは、スキーを使ったアドべンチャーレースに近い感じだ。
【用具】
下りよりも登りの方でタイム差が出るため、軽く歩きやすいものが主流となっている。ビンディングに関してはほぼ100%が、ディナフィット社製のツアーライトテック(日本ではトリステップという商品名で類型のものが販売されている)が使われている。ブーツでは、そのビンディングに対応したスカルパとディナフィットがほとんどを占める。またスキーも取り回しのいい軽いものが多く使われ、トラーブ、ディナスター、ディナフィットといったところか。シールは前方向への滑りの良さで選ばれ、コールテックスが多かった。脱着の速さを考えて、みなエンドフリータイプであった。
いずれにしても相当に改良してある。スキーのトップ付近を削り、シールをゴム留め仕様にしているチームもある。ブーツでは市販のまま使っている選手は皆無で、前のタンを外してガムテープで塞ぐだけであったり、上部に穴を開けて軽量化している選手もいた。
日本チームには、カスタムプロデュース社(ディナフィットの輸入代理店)からスキーとビンディング、ブーツの提供があり、外国選手に負けない装備を準備することができた。またウェアに関しては、ゴールドウィン社から揃いのレーシングスーツ、ジャケットなどを提供していただいた。それらは、初参加でありながら好成績を残すことができた大きな要因であったと思う。この場を借りて感謝したい。


今回は日本山岳協会からの視察としての参加であった。それはこの競技の主催団体であるISMC(International Council for Ski Mountaineering Competitions:国際山岳連盟傘下の団体)から日本に参加の呼びかけがあったからであるが、ISMCでは今後、この競技を世界に広めて、ゆくゆくはオリンピック種目にしたいとの希望があるようだ。今回の視察を受けて、この競技に対する日本の受け入れ態勢を、これから整えていかなければならないと感じた。
またこの大会に参加してみて、これまでの常識では考えつかないような山スキーの可能性を感じた。これからますます、多くの人にこの競技を知ってもらい、山スキー可能性、楽しさを感じてもらいたい。そして、すばらしい日本代表選手が生まれることを願って止まない。


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